さてさて、そろそろ何か始めないとな

さいたま市のソフトウェアエンジニアのブログ

5年後10年後なんて、ジョブズにもわからないから、できることをやろう。

私は年後、10年後、どんな働き方で、どんな生き方をしているだろうか

 

私は勤続27年目、かなりのオジサン類です。

さすがに、この歳で、年後、10年後なんて言うと、鬼に笑われそうだ。

 

ここまでくると、年後、10年後、どこかでリタイアしたいという気持ちが強い。

リタイアできたら良いな。と日々考えながら仕事をしている気がする。

是非、楽しいリタイアを迎えてみたい。好きなことを全力でやっていて生活できれば、それが一番理想的だと思っている。

 

年、10年と軽くいうけれど

今の若い人たちに伝えたい。

 

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年の重みは相当

 

 

スティーブ・ジョブズからわかる5年10年の重み

(以下は、wikipediaからの引用)
例えば、皆さんも知っている「スティーブ・ジョブズ」Apple、iPhoneの生みの親だ。

1976年

スティーブ・ウォズニアックと共に初期のホームコンピュータ「Apple I」、その後「Apple II」を開発した。Apple IIは大成功を収め、自宅からスタートしたアップル社は、シリコンバレーを代表する企業としてサクセスストーリーを築いた。

1980年

株式公開時に2億ドルもの巨額を手中にし、25歳でフォーブスの長者番付、27歳でタイムの表紙を飾った。

この間、たった5年。

1984年

「Macintosh」発売

1985年

アップル退社、NextComputer設立

1986年

ルーカスフィルムのコンピュータ・アニメーション部門を1000万ドルで買収
ピクサー・アニメーション・スタジオを設立。

1996年

業績不振に陥っていたアップル社にNeXTを売却すると同時に復帰

この間、たったの12

2000年

正式にCEOに就任し、MacintoshのOSをNeXTの技術を基盤としたMac OS Xへと切り替える。

2001年

初代iPod発売

2007年

初代iPhone発売

この間、たったの7

 

 

「スティーブ・ジョブズ」は、年後、10年後を本当に予測していたのだろうか?
「Apple I」を作ったときに、年後にタイムの表紙を飾るなんて想像もしていなかっただろう。

 

年間、10年間でで変化する社会情勢に対して、市場で何が求められているのかに対して、一致した人が急成長すると思う。
しかし、「スティーブ・ジョブズ」の場合は、自分で市場の要求を作り上げたとも言える。

自分のやりたかったことと、市場が求めているものが一致し、なおかつ市場が気づいていない需要に気づきを与えることを行動し、そして市場が求めているものを自分が作り上げたものに一致させた。

それは誰にでもできることでは無いと思う。

 

一流の大学を卒業していなくても、経済学を学んでいなくても、彼はやってのけた。

本当にすごいことだと思う。

 

私達と何が違うのだろうか。

 

 


それほど、違いは無いと思う。

 

 

この偉業を彼が一人でやってのけたのでは無い。

何かを学ぼうとする姿勢が少し違うだけなのだろう。

 

 

やり方は全て理想的だったのか?

Apple1を一緒に作った仲間を大事にはしていなかった。
もし、仲間を大事にしていたら、
その後の人生はAppleのCEOにもなっていなかっただろう。

Apple社内で、全てのProjectをはずされた。
Appleで身なりをきちんとしていて、Projectメンバーと友好的で、どのProjectからも弾かれなかったら、
別のプロジェクトでは成功したかもしれないが、iPodもiPhoneも発売されなかっただろう。

インドに旅に出たときに、インドが気に入ってしまったら
やはり、そこでIT開発は、終わっただろう。


その場、その場で先を読み続けて、布石を打ち続けた彼のやり方が、的に当たり続けた結果が実を結んだのだと、私は思う。

 


だから、私も全力で、いろいろな知識を身につけて、いろいろなことに挑戦し、打てるだけの布石を自分なりに、打ち続けたい。

今の職場環境では、できることは限られてくるのだが、それでもやれることはあるはずだと信じたい。

何かやれることをみつけて、全力でやり続けたい。


年後、10年後には、打ってきた布石のいくつかが、何かの形で役に立つことを実感したい。

 

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