「迷い」と「決断」
私は、ぼちぼち、長く生きてきた。2019年の日本の平均年齢と同じ世代。
それだけの時間を生きてくれば、いろいろなことがある。
結婚し、子供が生まれ、その後、転職し、一軒家を購入し、一軒家を売却し、などなどあった。
その都度「迷い」や「決断」があったのかというと、そんなことは無い。
その場、その場で、なんとなく人生を送ってきたら、こうなっていたように思える。
私はソフトウェアのエンジニアを仕事にしている。
二つ目の職場で、現在17年目になっている。
昨年、早期定年退職制度というものが実行され、たくさんの職場の方々が辞めていった。
辞めていった方々の中には、私よりも年齢の高い方々も数多く居て、今では、次の転職先を見つけているらしい。
そのとき、この状況で職場のエンジニアの数が大幅に減ることで、確実に仕事のしわ寄せが来ることが予想できた。
私の席の周辺だけでも、私の後ろに座っていたマネージャーと、右に座っていたマネージャーが退職し、向かいの席のマネージャーは、親会社に戻っていった。
同じような状況が全社で起きていた。
ソフトウェア開発業務としての仕事が無かったという状況だったかというと、決してそういう訳では無かった。
さらに、マネージャー職には、開発業務以外にも勤怠管理や評価業務、発注承認などの業務も山程ある。
それらすべてが残ったメンバーで処理しなければならない状況になった。
その後も、耐えきれずに退職していったメンバーが次から次へと発生するのは、当然の事態である。
なぜ、そんな過酷な状況にも関わらず、残っているのかといえば、退職するタイミングを逃したという理由が大きかったと思う。
大量の離職者が出る中で、確実に開発部隊は混乱することは間違いなく予想できた。
そのとき、いくつかのプロジェクトを兼務していた私は、その混乱した状況を収集できる自信もあったし、若いプロジェクトのメンバーをその混乱の中に追いやったままにするのは、可哀相という思いもあった。
しかし、黙って文句も言わずに残留し、実行することには納得できなかった。
それだけ残留したメンバーに過酷な仕打ちをしている状況にも関わらず、「なんとかしろ」の一言で片付けようとする会社の上層部に対して不満しか無かった。
だから、当時の上司に対しては、こう伝えた。
「混乱した状況を整理するまでは居ますが、それから転職を考えます。」
これに対して、上司は了承をしてくれた。
さて、それからというもの、私のグループは1グループで27人という大所帯になった。
その中に複数の機能のソフトウェアエンジニアが存在し、複数のプロジェクトが並行して実行されている状況だった。
適宜、メンバーに指示を行いつつ、任せるところは任せるようにすることで、なんとか実行中のプロジェクトが順番に収束していき、別のマネージャーをアサインして、グループを分割することができた。
ここまでくれば、落ち着いた状況と言えるだろうと考えて、何社かへ軽く面談等をさせてもらったのだが、あなたのポジションは募集していませんと、全て断られてしまった。まぁ、「必要ない」と言われてしまったのです。
こういった中でも、特に「迷い」も「決断」も無かったと思う。流されるままに流されて、なんとなくやりきれてしまったが、何処にも次の職場を見つけることができずに、今も結局残留しているだけなのである。
「迷い」と「決断」というと、何か成功事例を語りたいところなのであるが、私の中では、「迷わず」が多いように思える。
あまり何事にも迷っていないので、「決断」というタイミングも無い。
好きな言葉は「Que Sera, Sera」(ケ・セラ・セラ)
1956年の映画「知りすぎていた男」の主題歌ですが、その後日本でペギー葉山さんがカバーしている。歌詞が、とても印象的。
なるようになるわ、先のことなどわからない。わからない。
だからといって、私の場合、何もしていない訳ではなくて、日々自分自身の知識を増やすように努力しているし、環境の改善に努めている。職場のメンバーの技術力をあげるためにどうすれば良いかを考えて、活動し、サポートしている。
そうしたら、なにがあっても「なるようになる」=なんとかすることができる。と思っている。
長い人生の中で、これが正解だったのか、間違いだったのか、全く分からない。
ここで、この文章を呑気に書いている自分が今居る時点で、きっと大きな間違いは無かったのだろうと思う。
運が良かったのか、悪かったのかも、わからない。
なるようになっている。
だから、言える。
「Que Sera, Sera なるようになるさ」
あまり、悩んでも(迷っても)、しょうが無いですよ。
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